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執筆者の写真土方 奈々絵

内なる誠実さ/正直さ



私は大学生の時、グリークラブという合唱団で活動していました。

そのクラブがなんと、今年で創部100周年! そして、クラブがお世話になった皆川達夫先生の追悼記念演奏会ということで、 学生とOBOGの合同ステージで歌うことにしました。


曲は皆川先生の十八番である「ミサ・パンジェ・リングァ」。 ルネッサンス期のポリフォニーと呼ばれる宗教曲ですが、私も大好きな曲。 現在主流の和製音楽とは違って、どの声部も主役を務めながら、 それぞれの声部が織り合うように奏でる音楽がとても美しいのです。 もし、聴いたことがなかったら、是非味わって欲しいと思います。


昨日の練習後には、7月の演奏会に向け礼拝が催されました。

ミッション系大学では、このような催し物などに向けて 学内の教会で礼拝が行われることがあります。 私も数年ぶりに礼拝に参加しました。


 

キリスト教では「アーメン」という言葉をよく唱えます。 賛美歌や宗教曲で最後に歌われるので、あなたも聴かれたことがあるかもしれませんね。

「アーメン」とは、「その通りです」や「そうなりますように」という意味で

それまで歌ってきた/唱えてきた内容に「(強く)賛同します」、 「そうなるように願います」と言っていることになります。 礼拝でも、皆でお祈りを斉唱した後などによく唱えます。 今回久々に礼拝に参加し、一同でこの言葉を唱えることに 躊躇して、モヤモヤしている自分がいました。


「『その通りです』と口にしていいのだろうか?」


実は私、中学・高校は大学とは違う系列のミッション・スクールに通っていました。

その宗派では誠実であること、正直であること、嘘をつかないことを非常に重んじていて、 「わざわざ『アーメン』という言葉を口にしなくとも、常に真実を口にする」 と、「アーメン」という言葉を一切使いませんでした。 それが私のデフォルトになっていて、大学以降これまで 歌うとき以外は「アーメン」という言葉を心の中だけで唱えてきました。 私はクリスチャンではないので 「アーメン」と唱えるかどうかは任意だという気持ちがあったことも否めません。


ところが今回、 礼拝の式次第に書かれた「アーメン」という言葉を見て、

中学時代の聖書の先生の話を思い出しました。

「アメリカでは裁判の際に聖書に手を載せて 『真実だけを述べる事を誓う』と宣誓しますが 私たちはそれを免除されているのです。 真実しか口にしないのが当たり前ですから」。

その話を聴いて妙に感慨深く感じたことを思い出し、 そして「私は今、それと同じ重さで、真実だけを述べているのだろうか?」と思い、 「アーメン」という言葉を心の中で唱えることすら、躊躇してしまいました。

 

アトラクション・プリンシプルには 「真実を認識し、伝える(Recognize and Tell the Truth.)」 という原理原則があります。


裁判で宣誓する際にも、 「I swear to tell the truth, the whole truth, and nothing but the truth. 真実を述べ、何事も隠さず、また何事も付け加えないことを誓います)」

と同じく "truth" を使います。


ここでいう "truth" には、 自分の外側にある「真実」

自分の「内なる正直さ、誠実さ、裏表のなさ」でもって伝えるということの 両方の側面があります。


まさに、

「真実を認識し、伝える(Recognize and Tell the Truth.)」 の原理原則の意味するところです。


これまでこの原理原則に沿っていこうと意識してきましたし、 そうであろうと努力してきましたが、

「アーメン」という言葉を前にして、

改めて、釘を刺されたように感じました。



あなたは内なる誠実さ/正直さに沿って行動していますか?




 

今日も開催した毎月恒例の「インテグリティデー」。

この「インテグリティ」は、「自分に誠実に/正直であること」も意味します。

自分の「インテグリティ」に目を向ける時間を大事にしたいなと思います。


次は7月2日(日)開催です


それから、演奏会は7月9日(日)開催です。 こちらもよかったら是非!


ご都合・ご興味の合う方のご参加、お待ちしています。



それではまた!


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